選択の位置づけ ー 土井サオリ
ありがたいコラムのお話をいただきました。
優柔不断な私は
「選ばない」ことを選択した。
『2足のわらじ』と聞いて、
最初に浮かんだ光景は、
幼い日のコーディネイト。
洋服の選び方ひとつで、
「捕まるかもしれない」と、
怯えながら外へ出たことありますか?
小学校低学年の頃。
マンションの4階に住んでいた私は、
螺旋階段を降り、お姫様気分で
外へ出るのが日課だった。
ある晴れた休日、
とっておきのお洒落をして階段を降りた
…つもりだった。
十数分後、お巡りさんに
家まで送ってもらうまでは。
その時選んだとっておきとは、
タンスの奥から無理やり引っ張り出して
破れた父の肌着と、
父の黒い長靴と、
母のピンクのツッカケを片足ずつ装着。
姉の麦わら帽子をかぶり、
折れたビニール傘をさしたからだ。
外出後、あっと言う間に
お巡りさんに連れられて帰ってきた私を、
母は沈黙という眼差しでおびやかし続けた。
ー 選択って、人を巻き込むんだ ー
その日以来「選択」という位置付けを
少し高いところへ置いた。
でも、まだまだ甘かった。。(つづく)
現在私は、Webデザイナーとして
会社に勤めながら、
個人でアートワークをしたり、
古本と雑貨と音源のネットショップを
いじったりしています。
「好き」「楽しい」だけが
今の形になった訳じゃなく、
「悔しい」「悲しい」という、負の感情も
きちんと影響してくれている。
その感情は、
ひとつひとつ大切なものだから。
と、言うようなことを言い訳がましく
書いていこうと思っておりますので、
今後ともよろしくおねがい致します。
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