エンタテインメントのいろはを学んだAD時代 ー 山田はるか
私は人形操演の世界を知る前、
子ども番組のディレクターになるという
夢を持っていました。
今回は、人形操演の世界に
入るきっかけとなった
AD時代のことに少し触れたいと思います。
子ども番組のディレクターになるという
目標を抱き、夢を実現するために
自分で色々なことを調べ始めた中学生の私。
ディレクターになるには、
ADからキャリアをスタートするケースが
多いことを知り、またその仕事には
何よりも体力が必要であるということも
わかりました。
それからというもの、
私の心はADになることへ向けて一直線。
もともと体を動かすことが
嫌いではなかったこともありますが、
目標を持ってからは
体育の時間だけに留まらず部活動
(*中学&高校の6年間、運動部と放送部に
掛け持ちで所属していました)も、
ますます頑張るようになりました。
そういったわけで、
だいぶ割愛してしまいますが
数年後私は念願かなって
NHKの子ども番組のADになり、
子どものころから自分が観ていた番組を
担当するようになりました。
ずっと夢見ていた世界、
それは実際に飛び込んでみると
想像以上に過酷な現場でした。
キラキラとしたイメージとは
まるで掛け離れていて、
睡眠時間もしっかり取れない日々。
めまぐるしく変わる景色の中で、
色々なことを覚えるだけで
精一杯だったことを思い出します。
そんな風にADとして
エンタテインメントのいろはを学び始めて
1年半が過ぎたある日のこと、
私にとって人生最大の転機が訪れます。
そう、人形操演という職業に
出会ってしまったのです。
次回は、いよいよ人形操演の世界について
お話ししたいと思います。
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