ぞろぞろ塾 ー はしもとみお

私が小さい頃、
母がうちの六畳一間の洋間で開いていた、
ぞろぞろ塾。

 

放課後にみんながぞろぞろやってきて、
漫画やファミコンを堪能した後に
宿題をしたり教科書をさらったりする、
ちいさなちいさな学習塾だった。

 

当時大人気だった
アメリカ横断ウルトラクイズの影響か、
誰かが正解すると母は、

「ピンポンピンポン〜 !!!」

とそれはそれはおおげさに褒め称えていた。

 

面白げなシールや、
ハンコを大量に母は保管していて、
何かあるたび押しまくっていた。

 

私が育ったのは、尼崎という
贔屓目にみても治安のいい町ではなく、
小学校も学級崩壊するような、
バイオレンスとスリリングに満ちた
場所だった。

 

それでもぞろぞろ塾にくる
近所のお兄ちゃんやお姉ちゃんたちは
みんなやさしくて面白くて、
当時4〜7歳くらいだった私も、
ぞろぞろ塾の時間には
ちゃっかりと参加して机に向かった。

 

兄妹とは違う
近所のお兄ちゃんお姉ちゃんと
身近にふれあえることは、
私にとっておおきな財産だったし、
ぞろぞろ塾にきていたみんなも、
学校がちがったり家庭環境がちがったりと
色々だったから、
学校以外の楽しい「逃げ場」みたいな
存在だったのかもしれない。

 

全学年の子達をあつめて
保護者のかた同伴のクリスマス会も
毎年やっていた。

 

特定の授業というより、
誰かがわからない教科や
苦手なものをその時々で進めるという感じで、
雑談あり、脱線あり、6人しか入れない
六畳一間のちいさなぞろぞろ塾。

 

それでも机に向かったり、
みんなと学んだりするのが、
楽しいということは
幼少期の私に深く刻まれて、
小学校にいってもろくに授業にもならない
バイオレンスな町を出るために、
私は中学受験を決意することになった。

 

ぞろぞろ塾で覚えているのは、
森本君と、どぶさん。

 

どぶさんは、
溝口君という名前だったので、どぶさん。

森本君は、ひょうきんな性格で、
いつも塾が始まる前に
母を笑わせようとなにか仕込んでいた。

 

おでこにホクロがある母の真似をして
全員がおでこに鉛筆で描いたホクロをつけて
授業を待った日には、
みんなとんでもなくしかられたけど
楽しかった。

 

どぶさんは、手先が本当に本当に器用で、
私が描いたイラストを
ゴム版で精密に彫ってくれたこともあった。

 

みんな、今何をしているんだろうな。
私も、美術のぞろぞろ塾、始めてみたい。

 


「はしもとみおホームページ」

 


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