それぞれの時 ー 鶴岡達悦

 

4歳まで愛知県の岡崎市に住んでいた。
新興住宅地でまだ家は数件しかなく、
空き地の中にぽつんぽつんと家があった。

 

20代前半ぶらぶらしていた時
訪ねたことがある。
未知の世界が広がっているように思っていた
家の近所は、どこにでもあるような
普通の住宅街だった。

 

父親が今のぼくの年より2歳若い
36歳の時に建てた家は
とうの昔に取り壊されて、
知らない家族の家が建っていた。

 

幼い頃の父親は、
厳格で自分の世界の中いる人という
印象だった。

 

綺麗に刈り込まれた芝生にどかっと座って、
見上げてこちらに笑顔を向ける
写真があったと思う。
母親が家の中から撮ったものだろう。
実家に残っているだろうか。
芝生はとても鮮やかな緑だ。

 

家の前は “畑のおじちゃん”の畑があった。
とても可愛いがってくれた
畑のおじちゃんは、黄色い
包み紙の
チューインガムをいつも分けてくれた。
甘い香りとセットで、
クワで畑を耕す
おじちゃんは、
真っ青な晴れた空をバックに
逆光で黒いシルエットを作っている。

 

すぐ近所には工場が一棟あった。
錆まじりの埃が舞い、
暗がりに金属性のノイズが響いていた。
あやしく、恐ろしいものとして
子供の目に映っていた。
当時、その工場は同じようにそこにあった。
普通の工場だった。

 

先日夕飯を食べながら
妻と時間の話しをした。
日本人の平均寿命は84歳。
最近うちで飼い始めたメダカの寿命は
2、3年らしい。
鉢植えのうちの植物たちの成長は
遅々としたものだ。

 

漫画家の小池桂一はカメの見る世界を
昼と夜の明滅する
スピーディーな世界として描いていた。
それは誇張した表現だとしても、
寿命の長短によって見える世界は
違ってくるだろう。
俊敏に動き回るメダカに
僕らがスローモーションに見えることは
想像に難しくない。

 

5年くらい前、植栽工事で余って
うちに来たフェイジョアの木が
2階のベランダにある。
当時とほとんど変わらない姿をしてる。
彼は巡る四季をぼくらの1日ぐらいの感じで
眺めているのかもしれない。


2020年01月20日 | Posted in 余談Lab, ひらめきのタネ, 造園家 鶴岡 達悦 | | No Comments » 

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