沈黙について ー nashinoki

 

 

最近、なぜかわからないけれど、
以前より言葉が出てこないと
思っていました。

 

そのことに戸惑い、焦ってもいました。
何より言葉を書くことで、
自分が支えられている面が
大きかったからです。

 

でもどうしてか、
以前ほど言葉にしたい、
言葉によって
自分の経験していることを考え、
深めたいという気持ちが、
弱まっていました。

 

いま世界は、危機感や恐怖から、
誰かに向かって
攻撃的に投げかけられる強い言葉に、
あるいは
現在の人類が体験している未知の状況を、
「その後」を性急に説明しようとする、
たくさんの言葉に溢れています。

 

もちろん政治や医療など、
危機に瀕した
誰かの生命を救うための実際的な言葉は、
また、困難な状況において
発される真摯な表現は、
どんな場合にも重要です。

 

でもそうではない、
ただ発するために
発されるような言葉を前にすると、
僕はそれよりも、
状況にすっかり浸る沈黙の方が、
はるかにこの現在を、
強く耐えようとしているようにも、
思えるのです。

 

自分の言葉にすることへの躊躇が、
全てそこにあるかはわからないけれど、
そして、
怠惰や諦めにはいつも
注意しなければならないけれど、
沈黙ということも、
それが真摯なものならば、
いくらか意味を持つことが
あるのではないか。
状況への応えということも、
ありうるのではないか。
この頃、そんな風に思っています。

 

MAGAZINE 「TOTTO


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