息抜き ー 横山俊二

 

教養とは何ですか?

「人の言うことが分ること」

と間髪入れずに即答。
座禅会場へ移動中、
車内で師匠に教えを乞うた時のこと。
会話はそれで終わり、理解できなかった。

 

江戸城築城に尽力した
太田道灌が鷹狩の帰り道、
雨に遭遇し民家に立ち寄り、
蓑(みの:レインコート)を
借りようとしたが、
差し出されたのは
一枝の「ヤマブキ」だった。

 

「七重八重 花は咲けども山吹の
実のひとつだに なきぞ悲しき」

の古歌で、蓑一つ持っていない悲しさを
無言で伝えるためだったと
後に家臣に聞かされ、自分の無学を恥じて、
それ以降精進したという「山吹の里伝説」を
その日の講義で最後に話してくれた。
私のためでした。

 

教養って、ひけらかすため、
自分を飾るための知識だと
思いこんでいた自分がとても恥ずかしく、
「知る」は「知らず」の
ほんのわずかな部分でしかないことを
悟った瞬間である。

 

教わるってなんとありがたい事でしょう。
喉が乾かないと水を欲しない様に、
求めるから回答がある。
なんで? がそこにある。

 

人間という生命体で生かされている今を、
より良く生きるために働いて稼ぐ。
そこで必要な要素ひとつ、それが教養。

 

教養を身に着けるための手段が、
小中高大学での学問の習得方法。
学習成果は記憶の副産物で
自己の興味定数=likeで左右されるが、
すべてに共通する大切な事は
身に着けるまでの過程
つまり山の登り方にあると思う。
立ち位置が客観視できたら、
また先人の経験則がメモリーカードで
複製出来ればいいのにと思う。

 

富士山の麓はなだらかでも、
徐々に傾斜がきつくなる。
年老いて遅くなるのは、傾斜がきつくて
次の一歩が大変だから。

 

若くして急傾斜に挑んでも成す術を知らず、
体力だけでは登れない。
力尽きるまで精進しようっと、
休憩しながら。
でも手は離せない。

 

仕事の後のビールは美味い、
達成感の二乗に比例する?
しかし、自分自身に
飴と鞭を使うのは難しい。
あめが増えるばかり。
あ! 体脂肪がさらに…。

 

柏屋米菓手焼き本舗WEB


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