2022年2月26日の日記 ー アグニュー 恭子

 

人にはそれぞれ、
異なる主義主張や考え方や立場がある。
自分自身の中のそれでさえ
常に一枚岩ではなく、
変わったり、揺れたり、
グラデーションがあったり、
ダブルスタンダードだったりする。

 

戦争が始まって、こんなにもたやすく
平和な日常が壊れてしまうということを
改めて思い知らされている一方で、
私の毎日はなにも変わっていない。

 

夫は昨日、

「何もしないよりは」

と言ってベルファスト市内での
抗議のデモに参加しに行ったが、
私は体調が悪くてそれすらできず、
家で猫を抱きながらニュースを
見るだけだった。

 

結局のところ、
私はごく少しの苦痛を
味わうことすらせずに、
暖かく快適な家の中で、
ちっぽけな心と体を養うことが
許されていた。

 

戦争も紛争もテロも虐殺も、
私の生きているこの世界の中で、
もう既に起きていることだった。

 

私は、どこかの空の下で恐怖に震えたり
血を流したりしている人たちのことを、
大半のときは考えもしないで、
笑顔でおいしくご飯を食べている。

 

 

今回も、火の粉が
自分の近くまで来たからこそ
強い恐怖や憤りを感じているものの、
自分の生活の何を差し出したわけでも、
諦めたわけでもない。
そうやって自分の暮らしや楽しみを
最優先することで、
平和や戦争、人の命の重さにまで
順位をつけてしまっている。

 

でも、私は自分勝手で欲張りだからこそ、
何もかも奪われて
命ひとつで逃げだすか、
それがいやなら命をかけて戦うか、
その二つ以外の選択肢が
ないなんて状況は、絶対にごめんだ。

 

そして、そんな状況に置かれた人を
目の前にして、開き直り、
達観した顔で何もせずにいることは、
中立にさえならない。
当事者以外の個人が、

「自分には何もできないから」

と傍観や無関心を決め込んだら、
それは侵略者への
加担にほかならないだろう。

 

侵害された自由や人権は、
私の自由であり人権である。
どんなにちっぽけな私でも、
それだけは忘れない。

 

2021年度 埼玉文学賞受賞作品|埼玉新聞 (saitama-np.co.jp)


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